時世の粧い
駅ピアノ
2019年06月21日
何を見るともなくテレビの前に座っていたとき、空港に置かれたピアノを弾く番組が眼に入った。題して、空港ピアノ。場所はイタリア・シチリア島、旅立つ乗客たちが、搭乗を前にした短い時間の中で弾いていた。
番組では弾いた人にインタビューも行っていた。ある女性は、独学でピアノを習得し、最初に覚えた曲を披露、またある男性は、連れ合いが歌う歌の伴奏をして、2人の物語は、すべて音楽とともにあると語っていた。以上は若い人たちで、カメラは次に77歳の女性を映していた。彼女は、ピアノを弾くと、若かった頃の恋人たちを思い出すとコメントしていた。弾く人だけではなく、空港関係者も登場し、搭乗を待つ人たちが音楽でリラックスしてもらいたい、そして、誰かが突然ピアノを弾くことに魅了され、誰もが穏やかな気持ちになるようにと、ピアノを置いた趣旨を説明していた。
私は、この自由さが気に入り番組表を調べたら、シチリア島だけではなく、色んな場所でピアノを弾くことが出来ることを知った。空港だけではなく、ロンドンやアムステルダムでは、駅の構内に置かれていた。そして、どこでもそれぞれが思い思いに弾き、その場には聴衆がいつもいた。
さて、旅をしたある日のこと、ある駅でピアノを見つけた。まさしくテレビ番組にあった「駅ピアノ」であり、その時はほろ酔い機嫌でもあって、つい弾いてみたくなった。ピアノの前には、自由にお弾きください、と書いていた。私は、シューベルトの3つの小品から2曲目の冒頭とメンデルスゾーンのベネチアの舟歌を弾いた。途中、電車から降りて改札口を通る大勢の客の足音がしたものの、奇妙なことに、さらに集中して弾くことが出来た。それは、雑踏と音楽とのアンサンブル、と咄嗟に思ったのである。
弾き終えて、ふと後ろをみたら、拍手してくれた人がいた。そのうちの一人の男性から、何の曲ですか?最後まで間違わずに弾いていましたね、つい聴いてしまいました、とお褒めの言葉をいただいた。また、女性からは、この場でクラシック音楽は合うものですねと、まあまあの言葉をいただいた。
時間にして数分、空港関係者がしゃべったようなことを、私は自ら弾いたピアノで実践できたのである。ここには、クラシック音楽の孤高さはない。あるのは、ピアノの音を介して弾き手と聴き手がつくる「穏やかさ」であった。しかし、私はしばし興奮が覚めやらなかった。人生に決まったレールはないと思いながら。