小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

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診療の中で

診療、年齢そして年相応

2024年10月06日

数年前のことである。私は、昔自分が若いときに当時年配だった患者さんが訴えたことを、若さゆえにきちんと聞いてあげられなかったことをHP上に書いた。それは、自分が年を重ねて身体の不具合を自覚して初めて、訴えていたことがおぼろげながら、ああそうだったのかと思ったことから、比べるため敢えて昔のことをもちだしたのである。

私は、数年前のある時期から、年配の患者さんと年齢が近いと感じるようになり、若かった頃とはちがう関係になったと改めて感じた。すなわち、年を重ねたことにより、診察室では、自分が体験しつつある身体の不具合を基にして応ずるということが診療に加わった。

さて、年を重ね、それに伴って身体も変わることは述べた。それは、静かに、あるいは急に変わることがあり、しかも、一つではなく幾つもが襲ってくる。数年前までは、運動器官と感覚器官の不具合によって、行動制限を余儀なくされた。腰痛、足のしびれ、視力低下などがあるものの、ある程度限られていた。それが、このところ、消化器、循環器、泌尿器と次から次へと加わり、大腿骨など手術を勧められる事態なのである。しかし、本当に幸いに、予後(見通し)が悪くなく、無理をしなければ、何とかなる現状におさまっている。それでも、これまでにはなかった通院、相談に時間が割かれてしまう。静かな余生などという境地になるのは、いつのことだろう。身体の不具合が複合的に襲ってくるいま、ひと言でいうと、忙しい。

過日、敬老の日を迎えた。その日の天声人語には武者小路実篤の名言を引用している。「真から本気になって生きてみたい」「人生は楽ではない。そこが面白いとまあしておく」などの文言を眼にしていたら、つい、ゆとりのない私の性分と比べてしまった。そして、天声人語子は、「自らの老いもまた、しずかに見つめてみたい一日である。」と結んでいる。この人は、新聞社社員で50代か。私が50代の頃、老いを静かに見つめていたかどうかはともかくとして、人それぞれだと改めて思った次第である。