音のこと
指と響き
2015年06月17日
シューマンの曲は、歌曲もピアノ曲もこれぞシューマンだという趣がある。それは、行進曲風に、あるいは編むように和音が進行すること、流れが途中で突然とまると私には思える個所があること、そして、音が思わぬ飛び方をする、というような作りかたにあるのではないかしら。このことは、曲の響きを主に考えたのだろうということと、私の頭の中ではつながる。シューマンを弾くことは、それを裏打ちするような体験でもある。
私が弾いた予言の鳥。左右の指を交叉させたり重ねたりさせて、指に無理強いさせるような音の配置が多くて、練習し始めは、響きを楽しむどころではない。ショパンには、右手がメロディ、左手が和音、と簡単にはいえないまでも、それに近いように構成された弾きやすい個所がしばしば見られるのだが、シューマンにはほとんど見られない。しかし、譜読みを進めるごとに、無理な指使いがシューマンの響きをつくる、と確信するのである。
ところで、シューマンは、自身がピアノを練習する際に、第4指を動かす訓練をし過ぎて、指を壊してピアノが弾けなくなったようだ。第4指を訓練する理由が、私が指に無理強いさせることに関係があるのかどうかはわからない。ただ、その他のピアノ曲、たとえば2mに達する巨体で手の大きかったラフマニノフの曲などとちがって、指を出来るだけ伸ばして強く弾くわけではないのに、やけに指が疲れるのだ。響きを楽しむ一方で、壊れたシューマンの指を否応なく意識してしまうのである。