診療の中で
AGと呼ばれる医薬品
2017年09月16日
このところ、オーソライズド・ジェネリック医薬品(AG)が発売されて、我々開業医が処方する薬のうちの一つになっている。AGとは、特許期間中に先発医薬品メーカーの販売許可を受けて、自社などで販売するジェネリック医薬品(ジェネリック)のことである。これは、原薬だけではなく、添加物や製法等に至るまで先発品とまったく同じであるらしい。つまり、先発品が名前を変えただけに過ぎないということだ。これまで出回っていたジェネリックのように、有効成分だけが先発品と同じというわけではないようである。
私は、開業して以来ずっと先発品にこだわって、それを患者さんに処方してきた。ジェネリックを処方しない理由は、患者さんの利益を損なうのではないか等、いくつかある。特に、有効成分だけが同じというジェネリックが、体内で吸収されて効果を表すまで、先発品と同じであるということを、私は理解できないことが主な理由である。処方しない理由とは別に、こんなことがあった。すなわち、病院で処方されたジェネリックを服用している患者さんが当院に紹介された。私が先発品に変えたところ、それまでになかった副作用が出た。この副作用は、説明書に書かれていることであり、珍しい副作用ではなかった。さっそく中止して事なきを得たものの、ジェネリックを服用していた時にはなかったことだった。副作用がないのなら、主作用は果たしてあったのだろうか、あるいは添加物などで副作用を抑えたのだろうか等と邪推したものだ。
処方薬については、医療費の増大を抑えるため、ジェネリックを処方する方向になって久しい。この数年の間に何人もの患者さんが、保険者などから発送された郵便物を持って診察室にやってくるようになった。そこには、先発品をジェネリックに変えることで、1ヶ月にこれこれの医療費が節減される、というようなことが書かれていた。そのような患者さんが多くなり、先発品にこだわることも、もはやこれまで、と思った。それでも、ジェネリックを処方したくない私は、せめてもの抵抗として待合室に、ジェネリックを希望する方は、院外処方せんを発行する旨を掲示することに留めた。
増大する医療費を抑える方策の一環として、ジェネリックを処方、服用するよう推奨していることは理解できる。私も開業医として、医療費を節減するために、いくつかのことはしているつもりである。それなのに、ジェネリックに変えたら医療費を節減できるという郵便物を目にしたとき、まるで、自分は悪いことをしたのではないか、という錯覚に陥ってしまった。それだけではない。高い薬を処方している悪い医者と思われるのではないか、と被害妄想さえ抱いた。薬価差益は無いに等しい今、先発品を購入して収入の一助としている医療機関などどこにもないのに、である。これも、私の心の奥で自分は、本当は善人ではないという意識があるせいかも知れないが、それは、ここでは問わない。
さて、そんな中、AGがどんどん出回るようになった。今では、私は率先してそれを処方するようにしている。先発品と同じものが、他のジェネリックと同じ薬価だからだ。しかし、AGを購入し、ジェネリックに関わるようになってから、何かがおかしいと違和感を抱くこの頃である。先発メーカーが自社の子会社のような組織をつくるなどして、先発品とAGとを作っている。おそらく、生産ラインを新たに作ること、薬品名を登録すること、そしてそれを宣伝することなど、いずれにも費用が発生するだろう。それでも、他のジェネリックメーカーに奪われたシェアを取り戻すことによって得られる利益があるのだろう。しかし、同じものを作るために回り道のようなことをしていて、よく考えたらおかしなことである。また、医療費を抑制するために厚労省は、ジェネリックを処方するよう、そして、服用するよう、ずっと以前からアナウンスしている。何故、先発品を使うなとはっきり言わないのだろう。言わないのなら、先発品とジェネリックとを同一薬価にできないものか。厚労省の力をもってすれば、たやすいことではないか。そして、先発メーカーは、AGなどを作らずに、先発品の薬価をジェネリックと同じにするよう申請したらいかがなものか。
ある新聞に、先ごろ亡くなった永六輔さんを偲んだ一文があった。永さんは、専門家じゃないからこそ言えることがある、と言っていたそうだ。私は医者であるけれど、医療費のしくみや医薬品の製法、流通などについては、知らないことばかりだ。ところが、AGが身近になるにつれ、違和感が増した。目下、私のような違和感を抱く人間が多くなり、おかしいと提言することによって、ひいては、それがより適正な医薬品の流通や医療行為につながらないだろうかと夢想している。