音のこと
クレンペラーのオーケストラ
2019年04月01日
新年に久々に会った孫にCDを聴かせようとしたときのことである。彼はこうした音楽との出会いをきっかけに、いろいろな音楽に接していくのだろうと思ったことから、ふと、私が昔に音楽を聴き始めた頃のことなどを思い出した。
まだ私が幼稚園児か小学生だった昔、自宅で音楽鑑賞するための音源は、モノラル録音のSPレコードであった。何年か経ち、LPレコードに取って代わり、ステレオ録音が我が家にやって来た。そのLPを初めて聴いたときのことは忘れられない。すなわち、各々の楽器が分離されてくっきりと鳴り、より原音に近い音が聴こえたからである。楽器編成の小さな室内楽はもちろんのこと、大編成のオーケストラの弦楽器、管楽器そして打楽器の位置関係までもがよくわかった。そして、あれこれを聴いて調べて、という音楽三昧していたある日、指揮者オットー・クレンペラー(1885-1973)の演奏は、他の指揮者と楽器の配置がちがうことを雑誌で知った。この配置のことはその後、すっかり忘れていたが、孫にCDを聴かせる段になって急に思い出し、クレンペラーのオーケストラについて考えてみたくなった。
一般にオーケストラの楽器配置のうち弦楽器は、通常第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがひと塊になって指揮者の左に、そしてヴィオラ、チェロは指揮者の右に位置することが多い。図1にそれを便宜上通常型として示してみた。
図 1
近年のほとんどの音楽愛好家は、この配置のオーケストラを聴いてきた。ところが、クレンペラーは、第1ヴァイオリンを左、第2ヴァイオリンを右と、両翼に分けた配置をとっていた。これを両翼型といい、図2に示した。
図 2
そのクレンペラーの演奏を、孫が帰った後の正月休みの残りに、改めて聴き直した。曲はベートーベンの2つの交響曲。先ず、クレンペラーがステレオ録音で残してくれた交響曲第5番、通称「運命」である。この曲は、両翼型の特徴が冒頭から現れる。図3の楽譜に見るように、運命は斯く扉を叩く、と俗に言われる最初の5小節のあと、6小節目に第2ヴァイオリン、7小節目にヴィオラそして8小節目に第1ヴァイオリンと同じフレーズが続く。この部分は、両翼型の妙味で、1小節ごとに配置のとおり演奏音が右から左に流れるのである。
また、図4に示す交響曲第9番にも、第2楽章9小節目から第2ヴァイオリン、ヴィオラ、第1ヴァイオリンと、右から左へ流れる個所がある。
この部分をこれまで多くの指揮者が採っている通常の配置で聴くと、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが同じ場所にあるため、左、右と進んだ後、また左に戻って音が鳴ることになり、両翼型のように、右から順次左へと流れるようにはならない。一方で、両翼型だとヴァイオリンが分かれていることで、第2ヴァイオリンは存在感を得たためか、先導役として流れを際立たせている。ヴィオラを併せた3つのパートそれぞれが、しっかりその存在を主張し、生き生きと進行していることがわかるのである。
以上のような右から左への音の流れのほか、両翼型では、ヴァイオリン同士の協奏についても通常型とは違う鳴りを聴くことができた。ほとんどのオーケストラ曲で、両者は、似た音の動きをすることが多い。たとえば、第2ヴァイオリンは、第1ヴァイオリンの音の1オクターブ下かあるいはユニゾン、まったく同じ音で演奏するというように。これらを通常型で聴くと、第2ヴァイオリンは第1ヴァイオリンの黒衣に徹しているようにしか私には聴こえない。特に第2ヴァイオリンが第1ヴァイオリンの1オクターブ下の音を奏でる際には、耳が第1ヴァイオリンの高い音を聴いてしまうため、第2ヴァイオリンの音は埋もれてしまうのである。ところが、クレンペラーの演奏では、たとえ1オクターブ下の音でも右から聴こえるため、全体としてヴァイオリンが拡がりをもって迫ってくる。たとえば、図5に示した「運命」第4楽章61小節の下降音型。
音の持つエネルギーの強さが両翼に在る。その音たちの拡がり方から、つい、音の鳴りを擬人的に例えたくなる。我々はこんな鳴り方もできるのですよ、と声掛けしてくれているかのようである。右側に位置することで、まるで水を得た魚のように躍動的に満ちた演奏となっている。第2ヴァイオリンは、もっと注目されても良いということを下支えする個所である。
クレンペラーは、音源のみではなく映像も遺してくれた。映像は交響曲第9番。残念ながらモノラル録音であるものの、視覚的にヴァイオリン同士の協奏がよくわかり、聴いたことを裏打ちしてくれている。すなわち、第2ヴァイオリンが第1ヴァイオリンに替わってテーマを奏でることもあれば、第1ヴァイオリンと掛け合うこともあるのだが、クレンペラーが右に位置する第2ヴァイオリンに顔を向けて指揮する場面が何度も見られる。これを見て、彼が如何に第2ヴァイオリンをクローズアップしているかがわかった。つまり、両翼型の配置にすることによって、その意外に多い、第2ヴァイオリンの役割を聴く者に喚起させてくれたといえよう。
このオーケストラの楽器配置については、時代や指揮者によって様々であり、各々が工夫を重ねてきたようだ。D・ウルドリッジの『名指揮者たち』(東京創元社、1981)にも、古今の指揮者による様々な配置が図示されていて、どうも決まった配置はなさそうだ。しかし、金子建志の『オーケストラの秘密』(立風書房、1999)によると、モーツァルトやベートーベンの時代には両翼型が普通だったようだ。当時、この配置での演奏が行われていたようだから、ベートーベンがこの配置を当たり前として曲を作っていたとしたら、そもそも彼の曲は、両翼型で演奏する方が良いのではないかと思ったのである。私が、第2ヴァイオリンたちが水を得た魚のように奏でていると感じたのは、おそらくそのせいであったろう。
以上、聴き古したベートーベンの曲を、新年に「聴き初め」のように聴いた。クレンペラーが第2ヴァイオリンの存在に気づかせてくれたことは、私にとってのお年玉であった。そして、両翼型を採った演奏は、ベートーベンを、彼の活躍した時代にまでさかのぼって再現させてくれて、新年に相応しい音に包まれたひと時であった。
(紀南医報2019に寄稿)