時世の粧い
アセビ
2015年05月15日
旅に出たときには、あらかじめ決めていたことを済ませると、すぐに帰り支度をしてしまうことが多い。これは、性急な性分のためなのだが、先日は旅先でちょっとした時間をとってみた。時は新緑の季節、深々とした青さと新緑とに囲まれた公園で、小一時間くらい過ごした。その後、公園をあとにして、少し離れた建物の脇を通りかかったときのことだった。建物を囲んでいる生垣に目が止まった。
私の腰の高さくらいに生え揃っているその植木は、さほど大きくはなかった。近づいてみると、先端には淡い色の葉があった。それは、緑というよりはむしろ黄色といった方がよい色だった。また、ところどころに紅色の葉があり、小さな白い花も房状にあった。どちらかというと辺り一面は、緑を基調とした色で占められていたが、この植木は、そうではない色調で多様さを見せていた。自然の植生では、おそらくまばらに一本一本があって、ほかの緑の中に埋没してしまうのだろう。しかし、そこの生垣は密生していて、ほかのものが付け入る隙がなくて、そのためか、余計に色の多様さが際立っていた。それで、その在り様に目を奪われてしまい、いつまでもその場にいて、眺めたり携帯に収めたりした。ただ色の多様さを 見せてくれているだけなのに、いとしく思い、他人の生垣なのに、そっと隠したい気分になった。その植木がアセビであることは、あとで知った。
旅から戻りしばらくして、またアセビのことが頭に浮かんだ。そして、我が家の庭の一角に植えたいと思った。しかも、できれば人目に触れないような場所にそっと植えたい。どうもアセビに愛情を抱いてしまったらしい。
アセビ、アセビと唱えていたら、そばにいた母から、それは愛情ではなくて、執着ではないのか、と返ってきた。巷でもよく耳にする愛情という言葉。しかし、本当の愛情は、単に思いを寄せるだけでなく、相手の気持ちを優先し、見返りを求めないものであるらしい。確かに、執着は、あることに心がとらわれてしまい、離れないことである、と辞書にある。
本人は愛情と思っていても、結構執着であることが多いかも知れないと思ったが、さてさて、私の気持ちはやはり執着なのだろうか。アセビの気持ちは聞いていないものの、見返りを求めているわけではないから、四捨五入すれば愛情なのかも知れない。
(再掲)
若水と祖父
2015年01月01日
元日の朝、凛とした空気を味わっていたところへ、母から若水を取るよう言われた。その言葉の響きに、年の初めのふさわしさを私は感じたのだが、浅学にしてその意味を知らなかった。母に問うたところ、若水は、元日の朝に初めて汲む水のことで、一年の邪気を除く、ということらしい。母はそのことを祖父から教わった、と聞いた。
そんなことがあってから、しばらくして、母が遠い昔に若水を早く取りなさい、と言われている光景を、お屠蘇気分の中でボーっと想像していた。言いつけている祖父の前で、言いつけられた母たち兄弟姉妹がたたずんでいる。
祖父は、私がまだ小さい頃に、しばしば我が家に来てひと時を過ごし、私が成長するにつれ、発する言葉や行動が増えていくこと一つ一つを喜んでくれたようだ。残念ながら、私が小学校1年のときに祖父は亡くなったから、祖父についての記憶はわずかしかない。
そのわずかな記憶の中で、印象に残っているのは、当時は電気釜と呼んでいた炊飯器が我が家にやってきたときのことである。子どもである私だけでなく、祖父も興味があったらしく、仕掛けたら独りでに炊き上がる不思議さを、その前でずっと二人して座って眺めていた。炊き上がったことを知らせる釜の正面にあるスイッチの機械音は、誠に大きかった。
私が小学校に入学し、授業を受けていたときのことである。何気なく廊下に目をやったら、そこに祖父の顔があった。私が祖父に気づいたのは、そのとき一度だけだったが、あとで聞いたら、何度も小学校まで足を運んで、私を見ていてくれたようだ。そんな祖父は、私の枕を好み、昼間にそれを取り出して横になっていた。亡くなったとき、その枕も棺に納めた。
さて、私だけが若水を取るということを知らなかったのかと思い、私の妹にたずねたら、知らないと言っていた。若水を取る、ということは、家に伝わるしきたりのうちの一つなのだろうが、途絶える手前で私の脳裏に刻まれた。
家のしきたりは、大半は親から受け継ぐものだ、と思う。その親は、さらに以前にそのまた親から、と続いてきたのだから、私は祖父や祖母から四分の一ずつを受け継いでいることになる。元日の朝の母の言葉から、その四分の一にあたることの一つを教わった。それは、直接かかわることの少なかった祖父から時空を超えて、お年玉をもらった気分である。
(再掲)
シトロエンGSと今
2014年08月17日
最近のクルマは、ドアノブに触れるだけで解錠出来ることなど、テクノロジーの進化の恩恵を十分に受けた装置が満載されている。安全性への配慮も進んでいるから、クルマだけは古いものに逆行できないと思っている。それでも、かつて数年間駆っていたシトロエンGSのことをふと思い出し、もう一度手にしたいと思うこの頃である。シトロエンGSとは、何だったのか、そして、私に何をもたらしてくれたのだろうか、ということを振り返って考えてみた。
GSを動かすには、先ずチョークを引くことが要り、イグニッションキーを捻るのはそれからだ。高めの音が交錯してエンジンが目覚め、程なくしてクルマの高さが運転レベルに上がる。上がってからおもむろにギアを入れる。これがハイドロニューマチック・サスペンションを備えたシトロエン一族の古参、GSの始動風景である。
GSには包み込まれるようなシートが在る。これに、窒素ガスと油を用いたサスペンションとが相俟って、どこにもない乗り心地となる。フワフワとしているのに接地感がある、という矛盾した乗り心地だ。しかし、思い切った加速は出来ないし、パワーアシストのないハンドルだから、動き始めは、愚鈍という言葉が似つかわしい。その上、暖まるまでエンジンは不機嫌なのだ。
それでも、しばらく走ると至福の時が用意される。道路の段差などは見事に吸収してしまい、新たに舗装したのではないか、と錯覚するくらい身体が揺れない。揺れると身構えるが、身構えない分、身体に余裕が出来て、心は悠然とする。クルマの流れが遅くなっても、気持ちはあせらず、そのペースに合ってしまう。それは、我が家で椅子に座って、音楽を聴いたり本を読んだりしてくつろいでいることに似ていて、他のクルマにはない生活感がある。通常のクルマのサスペンションは、金属とショックアブソーバーで作られていて、今に至るまで、GSの乗り心地を凌駕するクルマを私は知らない。ショックアブソーバーには経年変化があるのだが、GSは窒素ガスを定期的に充填すれば、いつまでも新車の乗り心地が保たれる。少し前にシトロエンでは、GSのサスペンションに替わるコンピュータ制御されたハイドラクティブ・サスペンションとなった。しかし、残念ながらGSに備わった乗り心地とは異なるものだった。もう、この世であの乗り心地はなくなってしまったのだ。
ルイ・マルの名作、「恋人たち」の中で、女性が運転するクルマが故障した。この女性は先を急いでいるから、通りかかったシトロエンを運転していた男性に乗せてもらう。女性を横に乗せた男性は、彼女の気持ちなどお構いなく、ゆっくりと運転し、寄り道までして、「風のようには立ち去れない」という。このシーンに、GS経験者の私は共感を覚える。
世の中の進歩に伴って、クルマに関わる工業化も進んだ。先に述べた解錠装置を始めとして、今のクルマは、安全性を追求した衝突回避装置まで備え、一方では環境にも配慮している。その恩恵を我々は十分受けている。しかし、GSの乗り心地をなくしてしまう進化とは何か、ということを考えていると、いくつか思い当たることがある。患者さんから時々耳にする、最近の医者は、私の身体を触ってくれなくて、検査データや画像ばかりみている、という話。この話を他山の石として今も精進しているつもりだが、詳細なデータの方に説得力があることは確かだ。ここで、視診、触診、聴診の大事さは言うまでもないが、診断には、医者の眼、手、耳とデータとを組み合わせる強い頭が要ると思うのだ。と、いうようなことは医者には当然備わっていることなのに、わざわざ記さなければならない現況が問題だ。これは、生活の周りが細分化されていくという現代が生んだ問題のうちの一つだと思う。あがいたところで、GSへの回帰はできない世の中の仕組みだ。
「恋人たち」の一シーンを演出する、ゆっくり、フワフワ、というクルマはなくなった。それでも私は、工業化によって進んだクルマに、GSの乗り心地を共存させたクルマを作って欲しいなあ、と夢を見ている。
(CG458号投稿、大幅加筆修正す)
世代交代と恋愛感情と
2014年05月04日
子どものメンタルヘルスに携わっている人の講演があった。聴衆は、大多数が、私とほぼ同年代の人たち。どちらかと言えば、硬めの話の途中で、「我々のような年齢になると、すでに恋愛感情は過去のものとなったのではありませんか?」と半ば冗談気味の問いかけがあった。一瞬、あちこちで覚醒の気配。声を出して笑った人、にやっと笑った人、しばしの眠りから覚めた人、様々な反応で会場全体が、しばらく和やかな雰囲気に包まれた。さて、この笑いに包まれた雰囲気は何だろう、と夢想が駆け巡り、笑いの中身をあれこれと考えていた。そんなこと、この場にふさわしくないよ、古い話を蒸し返すものではないよ、と反対の意味で受け止めた人、何を今さらと噴き出した人、今まさに恋愛の真っ最中で、あなたはよくわかっていないね、とほくそ笑んでいる人等々。それぞれの受け止め方の違いは、会場に様々な笑いを生んだようである。しかし、たとえ、恋愛が過去のものであったにしても、この問いかけによって、誰もがかつてのその甘美な思い出を浮かび上がらせたはずである。会場を包んだ和やかな雰囲気は、おそらく人により様々な想いが各々の胸に去来した結果であろう。
ところで、恋愛は、熟年にとり、果たして過去のものなのだろうか。文豪ゲーテが生涯を通じて恋愛していたことを引き合いに出すまでもなく、決して過去に押しやるものではなさそうである。会場での些細な問いかけをきっかけに、思いつくまま、数ある恋愛の、ほんの少しの空想上の例を挙げてみる。若者は、一見か細いが、たくましさを備えている。物事の本質にズバリと入るエネルギーを持っている。「どうしてる?」と尋ねられ、「愛し合い、すてきな日々に感謝している」と答えたかと思えば、もう一方で、「なびく髪を見て、涙が出る」と嘆き、相手の一挙一動に気持ちを揺らされる。若者には、「一心不乱」「直情径行」などの言葉が良く使われるが、このことに若さゆえの可能性の大きさを感じるのは、独りよがりだろうか。では、熟年はどうだろう。「どうしてる?」「どうしてるって、好きだと思っているだけだよ」と相思相愛のエッセンスを何気なくさらりと言ってのける。ここには相手の気持ちの揺れに呼応しながら、しかし大きく惑わされない意思がある。また、功成り名を遂げ、老境に身を置く人は、如何なるやり取りになるだろうか。「どうしてる?」「老齢というものは、厄介だ。居眠りをしたり、思案をしたり、ほんにいとまがない。しかし、想いは変わらないよ」。これらは、もちろんそれぞれの世代のやり取りを代表しているわけではない。世代により、異なる恋愛のかたちがあるにもかかわらず、先のメンタルヘルスの講演会の話でもあるように、なぜか恋愛は若者のもの、熟年、老年には過去のものという感がある。
ところで、現在、若者のことを語る記事は多い。たまたま、手元にある雑誌をいくつかめくってみた。どの雑誌にも、ある大学の学部問題、若者の食事習慣、企業に勤める三十代の職場環境等々、圧倒的に若い世代を対象とした記事を載せている。そして、現在において、引きこもり等の状況にある若者が、問題視されるにもかかわらず、就職をせず、結婚をしない彼らをパラサイトシングルなどといって、揶揄する記事も多い。しかし、元気ある若者が社会参加をしない、ということの問題の深刻さに、今、どのくらいの人が気づいているだろうか。社会に参加できず、経済的自立の出来ない若者のホームレス化、ヨーロッパで崖っぷちに立っている若者の問題が認識されたのは、1980年代である。今、この問題が日本にも起こりつつある、と警告している人がいる。
さて、世代交代は、世の習いである。スポーツの世界では、三十歳くらいですでに引退を余儀なくされる。あるいは、もっと早くに交代するスポーツもあり、ある面、残酷である。また、人の親となった大人たちは、子どもが成長すると、そのことを喜ぶと同時に、ある感慨を抱くだろう。それは、成長した我が子に、世代交代することを覚悟させられているからでもあろう。しかし、今熟年、老年世代は、どれくらい意識を持っているだろうか。若者は、一見、直情的で気持ちの揺れが激しく頼りない。しかし、これは、裏を返せば、若さという可能性の大きさの一つ一つの事柄なのかも知れない、と思うのである。若者が将来に希望を持てず、うつつを抜かす現代においても、生の営みが続く限り、いつかは世代交代しなければならない。その時期をいったい、どのくらいの人が認識しているであろうか。熟年世代は、もっと社会参加しよう、と啓発する責務があるように思う。
恋愛感情は過去のものなのだろうか、という問いかけから、世代のちがいに思いを馳せた。さて、恋愛は本当に若者のもの、なのだろうか。円熟し、相手を思いやる深みのある恋は、なかなかむずかしい。やはり、様々な経験が必要となる。若者に社会参加を促し、世代交代を済ませ、熟年、老年は、もっともっと恋愛をして遊ぼうではないか。若者はリーダーシップを発揮して、社会に積極的に参加する。熟年、老年は、恋愛して、深みのある人間関係を若者に見せる。若者は社会参加で、そのエネルギーをいっぱいに発揮し、熟年、老年は、円熟した恋で、若さを取り戻す。今、世代交代で活気を取り戻したい、と思うのは私だけであろうか。
(初出:紀南医報no.3 加筆修正す)
記憶される日本シリーズ
2014年03月27日
「マー君神の子不思議な子」とは、かつての東北楽天監督、野村克也が田中将大投手に対して呟いた言葉である。田中がシーズン24勝無敗の成績を引っ提げて、日本シリーズでも優勝に貢献したことは記憶に新しい。今年になり、ヤンキースと日本人大リーガー史上、破格の最高額で契約し、シーズンオフでも話題の中心だ。思えば、日本シリーズは、あの巨人が引き立て役になってしまった。田中を擁した東北楽天の優勝は、将来にわたって皆に記憶されることとなるかも知れない。
私は日本シリーズを久々にテレビ観戦した。パ・リーグの打者をねじ伏せた田中の投球を見てみたかったこと、東北を本拠地としたチームのリーグ優勝に、ミーハー的な俄かファンとなったことが理由だった。田中は第2戦に先発し毎回奪三振の力投で完投勝利した。彼は第6戦に再び先発した。この第6戦は、東北楽天が初の日本一まであと1勝と迫っていて、しかも地元仙台に戻っての試合であり、いわゆる「舞台は整った」場面だったのである。ところが田中はホームランを打たれるなどして、逆転負けをした。最後まで投げる、と申し出た田中の投球数は160にもなった。
翌日の第7戦は、東北楽天の3人の投手が完封リレーをした。2番手の則本が投げているときから場内は、田中がクローザーとなって連投する、という雰囲気となった。放送では、前日160球も投げたあと連投出来るだろうか、とアナウンスしていた。私も、シーズン無敗男が日本一を決める試合で敗北し、もし登場したとしても万全の心身ではない、と想像した。調子よかった則本に最後まで投げてもらった方がより勝ちにつながる、いや、田中に有終の美を飾らせてあげたい、と気持ちが錯綜する。カメラは時にブルペンでの肩慣らし姿を映し、気分は判官びいきとなる。
さて、いよいよ最終回となり、田中の登場となるまさにその時のことだった。解説者の古田敦也が、「完投した翌日も投げる、という未知の世界を私たちは体験することになります」と言った。未知の世界?その古田のひと言で、テレビ観戦に溶け込んでいた私は、ふっと現実に戻された。というのは、昔の日本シリーズで、西鉄と南海が各々巨人に勝利したことをすぐさま思い出したからである。西鉄の稲尾と南海の杉浦は日本シリーズで連投、2人とも独りで4勝をあげた。稲尾は5連投して、そのうち実に4試合を完投、杉浦も4連投、最後2試合を完投したのだ。この2人の偉業を古田は知らなかったのかも知れない。彼は1965年生まれであり、2人の偉業はそれ以前の出来事であったからである。
かつて杉浦の球を受けた野村は、稲尾を評して、打者の肩の動きを見て、その狙いを瞬時に見ぬき、投球動作中にも関わらず狙いを外した、と述べたことがある。その野村から古田は、ヤクルトの捕手時代にマンツーマンの指導を受けて、ID野球の申し子といわれた名選手だった。古田は、昔の稲尾や杉浦のことを直接野村から聞いていなかったのだろうか。
今思えば、稲尾や杉浦が連投したことは、無茶苦茶なことである。だからこそ、その無茶苦茶さは、当時野球が好きだった私にとっては、いつまでも忘れられないほどの出来事だったのである。その私と15年の年の差がある古田とを比べるわけではないし、田中の偉業を稲尾や杉浦のそれより過小評価するわけではない。ただ、野球人として、稲尾や杉浦の偉業くらいは知っておいて欲しいと思った。
ともあれ、田中は打者を塁に出して冷や冷やさせたが、何とか勝ちを収めた。私には、昔の記憶がよみがえって、「神様、仏様、稲尾様」と称せられた稲尾と、年間38勝もした杉浦を再認するというおまけ付きの観戦だった。(敬称略)
フォルランの入団
2014年02月15日
Jリーグ、セレッソ大阪に入団した、ウルグアイ代表のフォルランの記者会見を聞いた。日本語で挨拶したのだが、大阪で頑張るのでよろしく、と始まり、日本政府、Jリーグの皆さまに、ここで出来る機会をいただき、感謝している、過去に3回日本に来て、すばらしいおもてなしを受けた、今回たくさんの希望と夢をもって来た、今年はチームによい成績を残せるよう努力する、おおきに、というものだった。ここでは、彼の決意と感謝とがはっきりと述べられていた。
入団するにあたって、かなり日本語を学んだと推測できた。聞くところによると、彼はスペイン語、ポルトガル語、英語を駆使するらしい。それを差し引いても、日本語でこのようにはっきりと会見をしたことに新鮮さを覚えた。断片的にしか彼のプレーを知らなかったが、俄かにファンになってしまった。
日本のスポーツ選手がこれまで海外遠征して彼らが話す外国語をときどき耳にし、グローバル化とは、こういうことでもあると認識していた。しかし、フォルランの会見を聞いて、日本語を習得しようとしている心意気に敬服すると同時に、世界を股にかけて活躍することの中身をグローバル化という言葉を超えて知らせてもらった気がした。
数日前、ヤンキースに入団した田中将大の会見があった。わたしはマサヒロタナカです、ヤンキースの一員になれてしあわせです、と英語で話した。通常はこんなものだろうな、と聞いていたが、彼には実戦で期待している。
たり、とか、なので
2014年02月02日
テレビを見ていて、発言する人たちの言葉づかいがずっと気になっている。
何々だったり、と「たり」をよく使っている。しかも、一つのことが続くことを表わすために使っているのに、一度だけしか発しない。これは、「・・・たり、・・・たり」という形で、動作の平行・継起することを表わす、と辞書にも書いているように、並べて使うのではないかしら。ただし、辞書には、「泣いたりしてはダメ」というように、同じことがあるのを暗示する時に用いる、とあって、必ずしも並べて使うだけではないようだ。しかし、本当によく使っている。
「たり」と同じくらい耳にする言葉に「とか」がある。しかも、同じく一度だけの使い方だ。こちらも並べることが本来だと思い、やはり辞書を引いてみた。そうしたら、例示する事項に一々「とか」を付けるのが本来の使い方、ときちんと書かれていた。しかし、一つの物事だけを挙げ、他を略して言う近年の用法、とも書かれていた。近年の用法なのか、と改めて思った。
私は、あまりに多用しているから、いつの頃からか、テレビを見るたびに、この二つを意識するようになった。ひどい(?)ときには、「・・・だったりとか」と同時に二つを使っている。
もう一つ、「なので」という接続詞。これはいつから使うようになったのだろうか。それなのに、それなので、なので、という変遷を経たのか?時々見るNHKの23時半からのニュースウェブで、若い解説委員が、なので、を5回使っていた。つい数えてしまう。
10年以上前になるだろうか、若者が使っていた「いまいち」という言葉が定着して、広辞苑にも載るようになった。言葉は世につれる、と思っているので、還暦過ぎた身には、抵抗があるものの、仕方のないことだと思っていた。そんな中で昨年秋、台風に直撃された東京都大島の人たちが、テレビでインタビューを受けている様子を聞いていて、懐かしく感じたのだ。「たり」も「とか」も使っていなかったからである。私は、きれいな言葉とかを使ったりしている、と思った。なので、こうして綴りたくなった。
病後に思ったこと
2013年12月09日
患者さんからしばしば、「病気しませんね」と言われて、不思議がられることがある。診察室で仕事するときは、概ね元気なものだから、そのように思われてしまうのかも知れない。実際、一般的に医院で働いている医療関係者は、感染症には強いようだ。その理由は、おそらく、風邪を始めとした病気に罹っている人と常に接しているから、「自然のワクチン」を受けている状態だからなのだろう。それでも、時には病気をする。
先日、久しぶりに胃腸風邪に罹ってしまった。気分は悪いし、お腹は痛いし、丸一日何も食べられなかった。食べられなくてエネルギーがないから、夕方横になったら、知らない間に2,3時間眠ってしまった。起きてから、体重を測ったら2キロ減っていた。それでも、性分だろうか、あれこれと身の回りのことを片付けていた。しかし、やはり体力がなくて、また眠たくなった。本当に良く寝られるものだ、と思った。
翌朝起きたとき、足元がふらついた。少しは食べられるかな、と恐る恐るお粥を一杯食べた。食べてしばらくしたときのことである。新聞をつかむ指先が、しっかりとしているのである。歩いたら歩いたで、足の筋肉の存在を感じる、という風に、体中に力がみなぎってきたことに気づいた。食べることのありがたみを感じた瞬間だった。改めて、動物は生きるために食べるのだ、ということがよくわかった。その日は一日、炭水化物を中心にして食べた。そして夜になって、お腹の調子が徐々に改善してきた。
そのまた翌朝、今度は卵とハムを加えてみた。油をフライパンに敷き、ハムを炒めて、卵をかき混ぜた。単純な煎り卵なのだけれど、おいしくて、かみ締めながら食べた。前日は、生きるために食べるのだ、ということを再確認した。そして、この日は、食事のおいしさに感謝したい気持ちになった。
よく思い返してみると、普段の食事は、習慣化してしまっている。しかも半ば義務的に済ませてしまうことがある。食事に限らず、何気なく過ごす日常に埋もれてしまっている大切なことが多いのではないか、と思った。今回は、思わぬ胃腸風邪に罹ったことで、食事のおいしさ、大切さを再発見したのであるが、今になっても、卵を見るたび、ハムを見るたび、珠玉のようないとしささえ覚えるのである。
そういえば、何かの雑誌に、多くの妻は、夫を完全無欠な存在であると信じている節がある、と書いていたことを目にしたことがある。私の身の周りでも、学校時代の同級生が同じようなことを言っていた。仕事で疲労困憊して帰ってきたとき、つい出てしまった「疲れた」の言葉に、「仕事だから当然でしょ」という返事が返って、立ち上がる気力も失せてしまった、とのことである。妻にとっては、夫は手入れの要らないロボットのように思えるらしい。
人間は生き物だから壊れることがある。今回のように身体が壊れることを体験すると、おいしく食べられてありがたい、というように、普段見えないことが見えてくる。完全無欠でいることが当たり前ではなく、無事に存在すること自体がありがたいのである。