診療の中で
新型コロナ感染症と怖さ
2024年12月16日
NHKで、2回にわたって新型コロナ感染症に対峙した2つの医療チームの働きを取り上げていた。
1回目はクルーズ船の中で集団感染した人たちを治療した災害派遣チームの葛藤の記録。本来、災害に派遣されるチームが、船内が災害でもないことに加えて、感染の危険を伴いながら仕事を進めるというこれまでに例のないことを報じた。2回目は東京に第1波が押し寄せた際の医療従事者の闘いの記録である。ここでは、ある妊婦が感染し、帝王切開してから、意識がなくなり危険な状態になったことを取り上げた。ともに未知のウイルスによる感染に対して、前例のない治療を余儀なくされた医療チームが乗り越えたことの記録であった。
それから4年余経ったいま、新型コロナウイルスに感染しても、ウイルスが変異を繰り返したことによると思われる弱毒化された状態となっていて、当初のように重症化することが少なくなっている。それは、番組でも第1波では感染すると致死率が5.34%にも上ったのに対して、第6波から第8波では0.11-0.18%と少なくなっていることを示していて、変化は明らかである。
さて、この5.34%の致死率となった第1波。これは、20人感染すると1人亡くなる数値である。当時、役者の志村けんさんが亡くなったこともあって、恐れはピークに達した。その後、感染者が急激に増えて、当地でも多くの人が感染した。数字の上では致死率が徐々に少なくなっているものの、第1波の衝撃が尾を引いていた。そんな中で、当院にも感染を疑ったり、心配したりした人が、いわゆる押し寄せてきた時期があった。私は医師とは言え、患者さんに相対することが怖かった。そして、診察しながら、感染防御をすでに受けたワクチンに託する気持ちになったことを覚えている。
そんなことを思い出したのは、NHKの番組の途中で、クルーズ船に乗り込む前の医師が「怖い」と言っていたからである。その医師は、怖いけれど「背負わなければならない」「リーダーの役割の一つ」と述べて、行動に移したのである。私も怖かったけれど、来られた患者さんを、何故だか拒まずに診察を進めた。それだから、テレビで述べていた「背負わなければならない」という言葉に共感を覚えたのである。
ひとは、突然身に降りかかった非常事態に遭遇すると、何にも超越し、自然に湧いてきた勇気ある判断が瞬時に芽生えることがあるのかも知れない。そのように思わないと、怖いことを前にして、拒まずに行動したことを説明できないのである。2回目の番組で、東京の医師が、「生と死の究極のところに立たされて、自分の在りように大きな影響を与えた」と述べていた。病院で先端医療に従事する医師と、私のような開業医とでは、同じ職業と言えないくらいの業務の差がある。しかし、行動の始まりは同じだと思いながらの番組視聴であった。