時世の粧い
運動器官と寿命
2021年11月11日
松坂大輔と斎藤佑樹。2人は今年、プロ野球を相次いで引退した投手である。彼らは高校野球で華々しい戦績を残し、野球の申し子といっていいような存在の大きさがあった。松坂は、春・夏連覇し、夏の決勝ではノーヒット・ノーランという偉業を達成した。斎藤は、あの田中将大と決勝で投げ合って延長、引き分け再試合を制した。2人とも決勝まで連投し、松坂は、延長戦になったPL学園高校に対して、250球を投げたという。斎藤は、投球回数も投球数も、大会史上最多を記録。私はテレビ観戦しながら、この2人に限らず、高校野球で活躍する投手にかかる負担は並ではないと思ったものである。
斎藤は、大学卒業後プロ入りしてまもなく、右肩関節を損傷したと聞いた。そして、まだ33歳の若さで引退を余儀なくされた。一方松坂は、プロ入り後も大活躍し、大リーガーにもなった。しかし、30歳を前に、身体の不調があったという。しばらくして、肘の手術を受け、その後も肩の手術を受けたと聞いた。41歳まで現役を続けたとはいえ、選手としての後半生は、決して満足のいく活躍ではなかった。
これらの事実を前にして、2人は高校時代に投げ過ぎたからだ、と結論付けるのは早計だと思うものの、短かった活躍期間と華々しい戦績に因果関係があるのではないかとやはり思う。しかし、ほとんどの投手が、高校で実績を残しプロで活躍する過程で、全員が肩や肘を損傷するわけではないから、ことは単純ではない。また、スケート選手が、足関節靭帯損傷や骨軟骨損傷などを受傷したという記事を最近眼にした。さらに、運動選手ではないけれど、ピアニストが、練習で手の同じ動作を繰り返すことなどによって、脳神経疾患である局所性ジストニアを発症することがあると報告されている。局所性ジストニアを発症すると、演奏するときに手指がこわばるなどして、ピアノが弾けなくなる。目下、スポーツにも芸術にも、携わる人の寿命が懸念されることが多くなった気がする。そのためか、高校球界では、投げ過ぎの弊害が認知されて、昨年から1人の投手の1週間の投球数を500と制限したり、3連戦を回避したりと、投手を保護するルールを作ったようだ。
肘や肩を損傷した選手に対して、手術を始めとした治療で選手生活を延命できることがあるようだが、松坂と斎藤は、寿命が尽きたと思わざるを得ない。もっと早く、投げ過ぎないためのルール作りをしていたら、彼ら2人の投手人生はちがったものになったかも知れないと夢想する。そして、夢想は拡がる。かつて、「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通安全の標語があった。クルマに限らず、世界中で長いスパンで、ゆっくりと物事を考えたい。高校球児は、10年先、20年先の自分を見据えて、今の投球を考える。そうすると、如何に野球をやるか、如何に生きるか、ということが頭に浮かび、ひいては自身の人権を考えるようになるやも知れない。それは、自分の身体をさらに大切に考えるきっかけとなるだろう。また、あらゆることを生かすには、人権により根差した社会作りが要る。野球の申し子は、短命であってはならない。大人は、身体を守る教育を考えなければならない。決して、投手は消耗品ではない。人を喜ばすための道具ではもちろんない。身体を守ることが、この消費社会では、常に念頭にあるべきだ。それが社会作りだろうと思う。スポーツをする身体の中身も想った。骨や筋肉などの運動器官は、残念ながら加齢とともに衰える宿命にある。極限まで練習で酷使することと、年齢変化とに挟み撃ちになる運動器官。年齢変化をそれこそ骨身に沁みるのは、私を始めとした老年者である。変化がまだわずかの若者には、スポーツに特化した予防医学がもっともっと要るだろうなと、夢想は迷走を重ねた。
松坂と斎藤の引退会見や、最後の投球を終えて流した涙をみていたら、何をどうしていいかわからなかった。しかし、夢想を終えたいま、これから進むための方向がここにあると思いながら、彼らの今後を応援したいと思った。