時世の粧い
100年
2024年11月13日
過日、母が100歳の誕生日を迎えた。その翌日、市役所課長さんと社会福祉協議会会長さんがお祝いに来て下さった。「人生七十古来稀なり」、その古希を30年も上回ったのだから、そうそう万人が到達できる年齢ではなく、身内ながら、祝っていただくことの稀有さ、ありがたさをそばで感じていた。このところ母は、100歳に自分がなるなど信じられないこととよく言っている。そんな母が、祝いの席で長寿の秘訣は何かと問われ、毎朝野菜を食べていると答えていた。
秘訣とは、奥の手や奥義といわれることであり、何やら字の通り秘密めいたことである。秘密であるかどうかはともかくとして、最近母と朝食の際に、家では野菜をずっと多く摂っているが、毎日摂り続けたら良いと話し合ったことがあった。野菜を摂る効用は言うまでもない。それに加えて、直近の朝の話もあって、口をついて出たのだろう。
さて、当の本人も不思議がっている100歳到達。市役所や社協の方だけではなく、そばにいる私だって、何故長生きできるのだろうと思うのである。それでも母と生活を共にしていると、長生きに資すると思われる幾つかの生活行動が浮かぶ。すなわち、母は、暑さ寒さに殊の外敏感なようだ。たとえば私が、風が吹いていると思っていると、横で「寒い」と言葉を発する。自然の変化より体感の変化に敏いのだろうと思う。そのことは、風邪を引くなど、身体への侵襲を防ぐことになり理にかなってもいる。また、人と話すのが好きである。「電話いのち」という言葉が相応しく、少ない範囲ではあるものの社会性が電話を通して保たれている。膝痛で行動制限があるにしても、携帯があれば事足りるのである。
以上、少しだけ例を挙げてみた。何だ、そんなことが長寿に与るのなら簡単なことだ、と思うことばかりである。しかし、このようなことが100歳まで到達することに必要でも十分でもないことは想像できる。野菜を多く食べる人は数多いる。身体が感じやすい人も、話し好きな人も特殊ではない。長寿の条件を、母を例にとってみても簡単には糸口が見つからないことはわかった。考えてみると、人の細胞は約60兆個あるといわれ、それらを何十年も統御しているのだ。改めて細胞の数を想像しながら長寿を俯瞰すると、さらに簡単ではないと思い知らされそうである。
長生きの秘訣は、との問いかけを機に少しだけ思いを巡らせた。そばで母を見ていても、がんばって100年を生きた、というような意思は持ち合わせていないと思う。自分のことを先ず考えながら、気がついたら100年経ったというような具合なのだろうと思う。秘訣もただ、身体によくないことはしないという程度のことだと私は思う。おそらく、100歳になった多くの人も、がんばって100年生きる、という人はあまりいないのではないだろうか。ただただ100年が過ぎたというおおまかさにあふれることしか浮かばない。周りの人に祝っていただくなかで、毎日を共にしている私のありふれた感想である。