小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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時世の粧い

親バカ

2018年02月25日

先日、娘婿が行なった仕事の内容がよかったのか、全国紙に取り上げられたことを知った。私の日常にはないことであり、掲載している何紙もの新聞記事をネットで検索して保存した。この私の行ないは、親バカならぬ舅バカだと思っていたある日のこと、知人から自身の子どものことについて相談された。知人は、自分は親バカであるから、何とかならないものかと悩んでいるのだとのこと。

悩みに答えながら、親バカの言葉に違和感を抱いた。それは、親であれば子どものことを心配するものであるし、自分で解決できなければ、誰かに相談するということは、当たり前のことである。知人はバカではないのに、バカだと言ったことに違和感があったのだ。この言葉を正しく知りたくて、広辞苑を引いた。親馬鹿とは、子どもへの愛情に溺れて、はた目には愚かに見えるのに、自分は気がつかない、と書かれている。つまり、知人は自分を揶揄して使っているだけで、バカではないと思うのだ。では、私もバカではないのだろうかと改めて考えた。そう、私はただうれしくて、娘婿の業務を書いた記事をとっておきたかっただけである。どうも、私も愛情に溺れているわけではなく、バカではなさそうだ。

さて、手元には1955年に発行された広辞苑の初版本があり、そこにも親馬鹿のことが書かれている。おそらく戦後も使われていたのだろう。ところが、明治期に編纂された日本初の国語辞典である玄海には、この言葉はない。「親思う心に勝る親心」はあったが、親馬鹿は、現代が作った意味、内容か。私や知人のように、気軽に使うのは、高々数十年のことだろうか。これは、親子の在りようが変化して、現代は子どもに過度に愛情をそそぐようになったからではないか、と想像した。

私は自分がバカだと思いながら、この言葉が浮かんだ。しかし、辞書にあるように、自分で気がつかない、ということが要点で、気軽に使うには、もっとバカさ加減が要ると思った次第である。