時世の粧い
百歳時代と聞いて
2018年06月10日
テレビを見ていたら、百歳まで生きる時代、と保険会社のCMで言っていた。果たしてそんな時代なのか、診療していてまだ実感がない。そういえば今年は、先だって十三回忌を済ませた父の生誕100年にあたる。その父が7歳の誕生を迎えた日は、父の母親が亡くなった日でもある。祖母享年29歳、今から93年前のことである。
私の家の仏間には、その祖母がグランドピアノに譜面を置いて弾いている一枚の写真がある。母によると、ピアノは私の祖父が東京の三越で買ったものだそうだ。当時、祖母がどのようにしてピアノと関わっていたのだろうか。父は生前ほろ酔い機嫌でピアノを弾いていた。私が小さい頃、2歳下の妹と一緒に父の弾くピアノに合わせて歌ったものだ。晩年もよく弾いていて、もう私は歌わないにしても、時々は脇で見ることがあった。父のピアノは、右手のメロディに合わせて伴奏する左手が、右手の動きに連動して両手の間隔は変わらない弾き方なのである。しかも、少なくとも鍵盤を上から叩いていた。これは、病弱だっただろう祖母から教えてもらった形跡ではないかと想像した。
さて、井上靖の「わが母の記」の中に、「父が亡くなってから、私は何でもないふとした瞬間、自分の中に父がいることを感じるようになった。」と書かれている。さらに、「父という一人の人間のことを考えることが多くなった」とも書かれていて、私も正に父を想うこの頃である。実は今年は、私が父と一緒に開業を始めた時の父の年齢に到達した年でもある。開業当初は、父のような高齢の医者と一緒に仕事したことがなく、これまでにない診療を目の当たりにした。最近になって、私の仕草や格好、つまり小児を診たり、大人の生活習慣について患者さんに話したりしている自分が、妙に父に似ていると思うのである。若さ故か、当時はどちらかというと否定した父の診療の姿を、いま踏襲している。輪廻というと大げさか。しかし、遺伝子でつながれた親子はこうして世の中を紡いでいくのかと思う。
私は音楽に熱中し、殊にピアノ好きになった。妹はピアノ科に進んだ。これも三越から運ばれたピアノに端を発して、遺伝子ではない音楽魂のようなものが引き継がれたのではないかと愚考していたら、ある日、母がピアノの前に座って、急に弾きだしたではないか。聞いたら、子どもの頃に家にあったオルガンを我流で弾いて曲を覚えたそうだ。今の今まで、母とピアノとは結びつかなかった。引き継ぐ音楽魂については、考え直してみることとする。
そろそろ今年も父の日が巡ってくる。以下は、父が亡くなった年に記したものである。
<ワイシャツの襟>2006/08
大阪に行ったときのことである。普段はラフな格好でいることが多いのに、その日は、ワイシャツにネクタイを締めて一日中行動した。家に帰ってきてから、ワイシャツの襟が黒く汚れていないことに気づいた。昔東京で生活していた頃は、一日着ると真っ黒になってしまったのに、幾星霜を経て新陳代謝が落ちてしまったと思った。そういえば、昔から父が脱いだワイシャツを見ても、あまり汚れがなかったということを思い出した。
早いもので、私が父と一緒に開業してから、今年の春でちょうど20年になった。そして、そのような節目の今年、父が他界した。親の思い出は、それぞれがさまざまにあるように、私にもいくつもある。
昔、父がスクーターに乗って往診していた姿を見かけた方が、姿勢が良いですね、と言ってくれた。このようなことを言ってくれた背景には、父のまじめさがあったからだ、と思っている。実は、父の腰椎は癒合していて、姿勢が良くならざるを得なかったのだが。
父は、診療中多くの医者と同じように、白衣をまとっていた。しかし、白衣を着ないで仕事している私をみて、いつの間にか、父も白衣を脱いで、私服で仕事をするようになった。晩年は、診察室に来られた同年代の患者さんと、南方の地図を広げて、診察そっちのけで戦争談義に花を咲かせていた。私と仕事をすることで、まじめだった父の中で、何かが崩れていったのかも知れない。
その父を自宅で看取った。自宅での治療は、病院のようなわけには行かず、検査値を始めとした客観的なデータが乏しかった。治療のための手がかりがもう少し欲しい、という気持ちで、私は、父の眼と表情を見た。最期が近づいているにもかかわらず、表情は良かった。そして、医師である父の方は、お前に任せたともとれるような眼で、私をみていた。言わば父の物言わぬ思いを私が代行した、といったら良いだろうか、表情が良いから輸液量を加減する、というように治療を進めた。それは、あまり科学的ではなく、良い治療だったかどうかは、今もってわからない。そのようなやりとりを重ねているうち、父は逝った。
私の記憶にある父は、もうすでに年を取っていたのだろう。その当時は、ワイシャツの汚れが少ない、などと父を思いやる自分ではなかった。自分が同じような年になって、やっと気づいたときには、もう父はいなかった。今、家の中にある父のワイシャツは、白いまま整然と納まっている。