小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

三重県熊野市 小山医院

三重県熊野市 小山医院

カルテの裏側

診療の心得

2022年04月01日

診療中、患者さんの親から、この子はよく熱を出すが、異常ではないかと尋ねられることがある。その都度、かぜ症候群や五類感染症のいくつかについては、「感染はするもの、しかし、感染するたびに免疫が強化され、それも成長のうちです」と応えてきた。それは、感染したことを特別視することが感染症を忌み嫌うことになりかねず、ひいては感染症に罹った人に対する差別につながる、ということを止めたいという一念もあっての対応なのである。ところが、そんな私の診療スタイルを新型コロナ感染症は、すっかり壊してしまった。新型コロナ感染症に罹患すると、他の病原体とちがって、認知機能が低下することや、男性性機能が低下することも言われている。それが本当なら、それは人類の危機であり、一人の医師の手に負える相手ではない。そんな中、いまは科学に基づいた知識を患者さんに話し、現下で取り得る最適な防御を多くの人が成せるよう伝えることが医療者の務めだと思っているところである。

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子どもの薬

2021年12月20日

診療していたある日のこと、幼児の母親から、この子はこの医院で処方する薬しか飲まない、と言われた。このことは、しばしば聞くことであり、その都度30年以上昔に、まだ幼かった私の娘たちに薬を飲ませて、「味見」をさせたことを思い出す。医院開業当初、患者さんに薬を処方するにあたって、飲みやすい薬を探していたのである。

当時、多くの小さな子たちが定められた薬用量を飲めるかどうか、私は疑問に思っていた。というのは、私が小児用の薬を試しに飲んでみたところ、苦みが強い薬もあったのである。少なくとも、私が処方する薬は、子どもには飲みやすくしたかった。ただ、子どもの味覚が大人と同じなのか、あるいはちがっているのかがわからなかった。そこで、私の娘たちが風邪にかかった時に、あれこれと種類を変えて、この薬はどう?と実験台になってもらったのである。もちろん、私の娘たちの味覚に合えばいいということではないものの、一つの基準にはなるだろうと思ってのことであった。娘たちは、「これは飲める」「これはまずい」と、にわか主役になったことを得意げにこたえていたことを思い出す。思えば、小さかった私の娘たちが健康被害を起こさない程度の配慮はした。しかし、たとえ我が子といえども実験台にしたことは、人道的に良からぬことであったと今は思う。

さて、この小児を始めとした感冒薬は、成人も含めて時を経てもそうそう変わるものではない。特に小児については、日下隼人の著書『小児患者の初期診療』に、「簡単には新薬に飛びつかないというほうが真理」と書かれているように、大人以上に慎重さを要するのであり、処方するには、旧来からの薬が良いのである。そのような根拠があって、一度決めた薬の種類は、揺るぎなく今日まで続けている。この揺るぎなさは、ジェネリックに簡単に変えられないことにもつながるのである。

私が日々子どもたちに処方する薬の味を選んだことが、大げさに言うと、生まれてから食べ物を口にして味覚を整えることに貢献していると自負することもある。そういえば、いま放送中のNHK朝ドラに、敗戦の混乱期にある岡山の街があった。そこで、潰れた家の瓦礫のそばで菓子作りを再建しようとするヒロインの父親が、「菓子は苦しいときほど必要なものだと思う」と話していた。

乳幼児期に味を覚えていくとき、敗戦後の苦しいとき、ここに共通するのは、生きる根源を支える味覚への渇望である。改めて、このようなことに参加できる私の境遇をうれしく思う。ひいては、味を生業とする人の生い立ちに想いを馳せつつ、子どもたちに、しっかりとした味を用意してあげたいと思った。

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ワクチン普及のすがた

2021年07月18日

先日の深夜、ゴーっという音で目が覚めた。それは、ずっと続いていた雨が豪雨となったための音であった。まさか、家が壊れるのではないかと不安が胸をよぎった。気がついたら停電していて、雷がしきりに鳴っていることも相まって、寝られなくなってしまった。真っ暗な中、灯りを持って、部屋や廊下から家の周りを点検したところ、テラスの屋根から滝のように雨が落ちていた。停電は、1時間以上に及んだとあとで聞いた。私はというと、不安を抱きながら横になっていたら、寝てしまったようだ。

朝起きて点検もそこそこに、仕事場に行ったらファックスが届いていた。市役所健康・長寿課から、「停電によるワクチンの取扱いについて」と題して、停電が1時間以上となったため、冷蔵庫に保管しているコロナワクチンの品質管理に影響があることから、回収、廃棄するということを旨とした文章だった。ワクチンを新たに配送することや、解凍時間のことなども詳しく書かれていた。このファックスを読んだ時点で、このところ、医院でのワクチン個別接種や自治体での集団接種を行なうため、あわただしい毎日だったことを思い出した。しかし、私は停電がワクチンに影響あることまでは、思いが至らなかった。

ファックスは、2名の職員の連記で、実に早朝5時35分の送信時間であった。職員は確か、最近まで育児休暇を取っていて、目下公務だけではなく育児にも忙殺される毎日ではないかしら。そんな中で、廃棄しなければならないワクチンが、そのままでは住民に不利益となることを察知し、各医療機関に早朝送信したのである。私は、ファックスを手にしながら、その行動の重みを思った。

いまは国からのワクチン供給が滞っているものの、最近まで一日100万回接種することを自治体に伝達し、実際そのような接種が続いていたと聞く。全国民に、ワクチン接種を普及させるために立案することの大事さは言うまでもない。そして、それを遂行するには、末端の各自治体での休日を返上した業務に支えられていることも大事なことである。さらに加えて、その内実は、人間の深奥にあるもっと貴重な、事や物に働きかける100万回の気持ちに支えられているのではないか、ということを思った。取りも直さず、自治体職員が送信した「5時35分」がそれを物語っている。

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育つ子どもたち

2020年08月05日

人間の記憶は、中学生の頃が一番残ると言われている。私も例にもれず、1964年に東京オリンピックが開催されたとき、中学校の試験勉強の合間に観たいくつもの試合のことを覚えている。試合だけではなく、選手の試合に臨む所作も思い出深いものが多い。後年、覚えていたことが多くて、会話の材料に事欠かなかった。そして、私はいつしか東京オリンピックを知っている世代とそうでない世代を区別するようになった。それはあまりよろしくないことであるが、東京オリンピックを知らないなど、まだ若い、若い、というそれである。

さて、診察室には私の子ども世代が各々子どもを連れてやって来るようになって久しい。その子どもたちは、年を経るにつれてあまり病気をしなくなり、いつしか来院しなくなる。それでも、時々は風邪を引いてやって来ることがある。そのときの成長した姿をみて、私は、「大きくなったね」と声を掛ける。大抵は、はにかんだり、ぶすっと顔をそむけたりして、いわゆる思春期がそこにある。ある日、ある子どもに、「大きくなったね」と言ったときのことである。「大人はみな、大きくなったとしか言わない」と返してきた。これには、一本やられたという気分だった。

私は、小さな子どもが診察室に入ってきたとき、おはよう、ではなく、おはようございます、と言うことなどを始めとして、大人と同じように接しているつもりでいた。しかし、大きくなったとしか言わないと返されてからというもの、そうではないことに気がついた。すなわち、子どもの立場にたっていなかったのである。子どもとは、身体が大きくなるだけの存在ではないということを、子ども自身が体感しているであろうことを想像できなかったのである。件のオリンピックを知る、知らないと分けたことも、今思うと独善に陥っていて、おそらく子どもの立場にたたないことと同じカテゴリーに属することではないかと自省している。

子どもは、とにかくよく遊び、動き回る。体重あたりのエネルギー消費は、大人とは比べ物にならないくらい多いのではないか。それぞれが、昨日に比べて今日のほうが面白いことがあり、いっぱい遊んだ、というように、多彩で濃密な毎日をおくっているはずである。よほどの不都合な環境でない限り、明日を楽しみにして布団に入るのではないかしら。いっぱいの遊びを脳の細胞に余裕をもってファイルする。そんなことを積み重ねるうち、ある時は、世の中を一律に見ないで複雑化していることを学ぶ力を養うだろう。また、自由を獲得して、自らが成熟していることを目の当たりにしているのだろう。というように、思いつくままに子どもの世界を想像してみたら、その成長の過程に膨大な量があることを改めて思う。「大きくなったね」は、子どもたちには偏向した見方しかしていない言葉だったのだろうと思う。

古希を迎えた今、私はこれから子どもとどのように接しようかと考えている。子どもの立場に立つことはもちろんのこと、大人には子どもを育てる役割があることは言うまでもないことである。そんなことを踏まえて、上下関係ではなく、混然一体とした関係のなかで、子どもたちの言葉に耳を傾け、行いを楽しく見ていくつもりである。こうして70年も生きると、子どもたちも、その親たちも総じて若い。若さで区別したのも今は昔、育てるものは育てられるのである。

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指の感覚 -採血行為とピアノ演奏-

2016年08月27日

診療が終わろうとしていたある日のこと、1歳1ヶ月の子がやって来た。診察のあとの採血、23ゲージという細い針を使って、手の関節部分にわずかしか見えない血管に刺した。この血管は、細い針が太いと思えるくらいに細かったが、幸いにして一度で血液を採ることが出来た。

開業してからは、私の指導の下、採血や点滴はナース任せである。それでも往診の際には、私が注射し、採血するが、日常は全くと言っていいほど、患者さんに針を刺さない。それなのに、小さな子の細い血管に上手く刺すことが出来たのは、よく考えると、特別なことなのかも知れない。そんなことがあった日の夜、ふと、毎日針刺しをしていた新人医師の頃のことを思った。

さて、このところ仕事の余暇に、私はブラームスのラプソディ第2番を弾いている。この曲には、7度の音程がよく出てくる。7度は、聴きようによっては不協和音のようである。それより1度伸びた音程は、8度の1オクターブである。1オクターブは、同じ音であるし、ほとんどの曲でこの音程を弾かせるか、それをもとにした和音を弾かせるため、指が自然に覚えてしまう。それが7度となると、やや短くて指の開き方も若干少なくなるので、弾きながら、まちがいではないかという感覚に捉われる。ラプソディには、片手だけではなく、両手で7度を要求する個所もあり、指がなかなか覚えてくれない。どうも7度の音程は、まちがって弾いているのではないかという恐れを抱いてしまうので、覚えられないようなのだ。

ちょっと指の開き具合が異なるだけで、なかなか覚えられないのは、残念ながら年齢のせいか。しかし、今私は、この7度に果敢に挑戦している。それは、この音程に得も言われぬ響きがあるからだ。そして、その響きを自分のものとしたくて一所懸命なのだ。音符を覚えられないときは、繰り返し練習するほかないとピアニストだった井上直幸さんが記している。目下、反復練習して指に覚え込ませ、響きを楽しんでいる毎日であり、この曲の虜になってしまっている。

ところで、針刺しは、いくら出来ないからと言っても練習するわけには行かない。昔、医師となって最初に針を刺した患者さんのことは、未だに記憶にある。当時指導医から、針を刺すときは、流れている血液を針先から指に感じるようにと教わった。それ以来、私は針刺しの感覚を会得した。しかし、1歳1ヶ月の子どもの採血をしてからというもの、その感覚をどう説明したら良いのか、わからずにいる。一方、7度の音程の弾き方も、反復練習するうちに、指が覚えた。しかし、どう弾いているかについては、動物的感としか言いようがなくて説明できない。

職業柄、理詰めでやってきた私であるが、仕事の中にも余暇を楽しむにも、動物として備わっている説明できない感覚で物事を進めていることが、結構多くあるのではないかと夢想した。

 

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老いて成長する

2015年06月13日

子どもが手にするキャラクターグッズの中で、アンパンマンは、古今抜群の人気がある。その仲間たちを合わせて、私は診察室に飾っている。それを眼にした1歳の子どもまでが、覚えたての言葉を発しながら興奮気味に指差しをする。それにしても、1年くらいの見聞の期間で、アンパンマンに興味を持つ回路が作られてしまっている。まるでそのような胎児教育をされたのではないか、と邪推してしまうような成長ぶりだ。もう少し年長になると、うちのと一緒、と言うこともあり、すでに身近なものとなっているようだ。

さらに年長の子どもは、興味の対象がおもちゃに限らなくなる。私がカルテ入力していると、何をしているの?と神妙にたずねてくることがある。カルテ入力という作業に真剣に向き合っている私の姿勢が、彼らを惹きつけたのだろう。その態度は、未だ自分の世界にはない人の営みを発見しつつある、というそれである。ある子は、自宅で電子カルテに入力しながら診察する真似をするそうだ。旺盛な好奇心も瞬く間に身に着く。

さて、私は少し前に不注意で爪を傷めた。根元から剥がれた爪が、まもなく新たに生え変わってきた。その少しずつ伸びている先端の瑞々しさに、自分の爪ながら感心してしまった。還暦を過ぎて数年経った今、ともすると老いを悟り、身体にも精神活動にも限界を感じる。しかし、伸びてきた爪には生命の息吹がある、しかも年をとった自分にまでこんな成長がある、と見定めたことは、まさにけがの功名であった。

また、人生は喜ばせごっこ、という言葉を残したアンパンマンの作者、やなせさんの今わの際まで続けた活動に思いを馳せた。子どもたちの笑顔を見るのが大好きです、という言葉も残されていて、最期までご自身が成長されたのではないだろうかと思うのだ。成長するのは子ども、とつい捉えてしまいがちだが、大人にもまだまだ成長の芽が見つけられる。

先日読みかじりしたのだが、精神医学者のユングが「成長と自己実現の可能性は、人生の後半に存在する」と述べている。もう年だから、ではない。

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内臓の模型

2015年03月13日

内臓の模型をデザインにしたエプロンがある。これを用いて、幼稚園児を対象に、先日身体の話をした。まず、肺は空気を吸う、吐くことで伸び縮みする、ということから話し始めた。次は消化管。ご飯を食べると胃にたまり、腸を通過してウンチになること、白いご飯が茶色のウンチになるわけ、小腸が7mあることを七歩歩くことによって、長さを示すことなど、大勢を前にすることに慣れない私は、身体も使って奮闘した。

話し終ったあと、質問を受け付けたら、半数以上の子どもたちが手を挙げた。年長児からは、腎臓について話し忘れたことを指摘されてしまった。

機能から形態から、系統的ではない雑多な話ではあった。最後の方で、男の子と女の子はどうしてちがうの?と聞かれた。みんなが大人になってからじっくりと話そう、と本当は言いたいところだった。

話の眼目は、内臓はバラバラにあるのではなく、つながっているということを伝えることにあった。短い時間ながら結果的に、真剣に聴いてくれた子どもたちと私はつながった気がした。

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幼稚園でのひと時

2014年07月09日

今月より、幼稚園に出向いて、園児と昼食の時間をともにしたり、話を聞いたりする機会を設けることにした。もともと幼稚園から子どもたちの健康診断を仰せつかっているから、全く知らない場所に行くわけではない。

子どもたちは、私に質問をしてきた。

どんな病院?

住んでいる家はどこ?

髪の毛はなぜ白い?

誕生日には、どうしてプレゼントをする?

折り紙で何を作ることが出来る?等など。

質問に答えることは、容易ではなかった。まず、白髪になる理由を園児に当意即妙に答えられなかった。また、プレゼントをする由来は?と考えていたら、このような習慣は明治に始まったのではないか、と連想もしてしまい、こちらもどう答えたのか覚えていない。それでも、わかりやすく答えようという意思をもって、子どもたちの輪の中にただ一人でいたのである。

私のそばでは、抱っこしてと要求する園児がいれば、身体をぴったりとくっつけてくる園児がいる。どんどん話しかけてくる園児がいる一方で、静かに遠くでちらちらと気にしている園児もいて、そういう子どもたちには、こちらから話しかけてやった。

いま、核家族の形があり、ひとり親の家庭もあって、子どもを取り巻く環境は一様ではない。また、子どもを地域で見守る大人たちの数は、いくつもの原因でどんどん少なくなっていると思われる。総じて子どもたちは、大人と関わる機会が減っているのではないかしら。そんな中でも、時間は経ち子どもたちは成長する。過疎化、少子化が顕著な熊野市でも、子どもたちは成長する。その成長に関わるため、大人をステップボードとして羽ばたいてもらうため、私は微力ではあるが、幼稚園でひと時を過ごすことに決めた。

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孫に引かれて

2013年12月09日

おじいさんが、水ぼうそうを患った孫の手を引いてやってきた。診察後、病気の性格から別の場所で待ってもらったが、そこから二人の言い争いの声が聞こえてきた。しばらくして、おじいさんは「ここで待っていていいんですか」と尋ねてきた。どうも、待合室と別の場所で待つことが不安になったらしい。尋ねることで安心したおじいさんに、孫は、お薬を待っているだけなのに、と説教していた。きちんと話をしなくて悪かったな、と反省すると同時に、孫が承知している、ということは、少なくとも伝わっている、と思い直した。

診察室で感じることは、大人が思うより、子どもたちは物事を理解し、そのことに自信を持っている、ということ。一緒に暮らしているとつい余計なことをいいたくなるが、こんな場面に遭遇すると、親の知らないところで、子はしっかりと育っていっているのかな、と思う。お薬をもらって、おじいさんは、孫に手を引かれて、楽しげに帰っていった。

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にがい薬

2013年12月05日

今、子どもたちが病気になり、処方される薬の多くは、イチゴ味、 オレンジ味等にして、薬本来のにがみを和らげ、飲みやすいように工夫されている。しかし、 にがみを消せない薬もあり、そのような薬を前にすると、大変な抵抗に会う。私は、あえて にがい薬を処方するときは、子どもたちに向かって、「○○ ちゃん、にがいけど飲めるかな」と、 聞いてみている。

ここで子どもたちの心に、とまどいから勇気に変わる瞬間があり、次の診察の時「飲んだよ」 の一言があったときは、ささやかなコミュニケーションが成立したことを1人で祝福している。 にがい薬を媒体に、子どもたちが立ち向かわねばならないことを明らかにすることで、 自分を意識し、振り返ることができる。大人の役割は、こんな所にもあると思う。

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