小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

父子鷹のすがた

2020年06月01日

新型コロナウイルスの感染拡大が始まったころの新聞に、2月1日にピーター・ゼルキンが亡くなったと報じていた。ピーター・ゼルキンは1947年に生まれ、フィラデルフィアの音楽院に入学、父ルドルフ・ゼルキンを始めとした指導者に学んだピアニストである。親友であった武満徹によると、当時アメリカを蔽っていたベトナム戦争の影響などがあり、単なる天才児に留まらなかったようだ。すなわち、父ルドルフなどから受けた音楽教育を根底から見直そうとして、その偉大な父の薫陶を鵜呑みにできなかったと記している。すでに有名になってから、欧米とは異なった文化に触れて、仏教への関心をもち、ある時は、長髪にしてTシャツを着たヒッピーを思わせる風貌であった。

そんなピーター・ゼルキンのモーツァルトを久々に聴いた。モーツァルトのピアノ協奏曲を数曲残してくれていたのは、幸いであった。というのは、人一倍傷つきやすい感性を有していたと武満徹が述べていたのであるが、その感性が、決して多くない音符ゆえに、どう演じたかを端的に聴くことができるからである。そして、残念ではあるが、こちらの感性のせいで、何度か聴くと別の新たな音楽が展開するのである。いや、残念ではなく、喜びなのかもしれないが。

曲が始まってから、最初に感じたのは、4分の3拍子でも、4分の2拍子でも、第1拍の音が、いま第1拍であるということがはっきり聴こえるように弾いている、ということである。つまり、小節の冒頭から音楽が生起するということをわからせてくれて、そのことがまさに音楽を調子づける。また、モーツァルトの曲は、長調と短調とが曲の進行に従って織り成すように転調する。転調することの機微を味わうのも私の楽しみのうちの一つである。果たして、大いに楽しんだのである。その、長調が短調にかわる、あるいは短調が長調に戻るという間際に、もう少し転調しないでいて欲しいと、前の調が消えるはかなさをその都度感じる度合いが大きい演奏なのである。そして、音の強弱に陰影の濃さがあり、結果、音に深みがあることを露わにする。だからといって、強弱のつけ方に激しさがあるわけではなく、強弱があればあるほど演奏者の冷静さを際立たせる。さらに感じたこと。曲の途中にある速いパッセージに、伴奏のように同じ音符が並んだ個所があり、そこでは、決して一音たりともおろそかにしていない。音、響き、すべてを大切にしていることが、聴き手にもこの瞬間を大切にしようと思わせてくれる。

以上のこと、これは、父であるルドルフ・ゼルキンが来日した際に聴いたときと似た感想だったことを思い出した。私は、血は争えない、と思う。しかし、演奏芸術に同時性はなく、その細部は異なる。それなのに、人生の早期に父から学べば学ぶほど、才能ある子が才能ある親を踏襲しているというだけの芸術ではないかと、その感性の鋭さが疑って苦悩し、そして、拒んだのであろうか。否、こんな推理は、在り来たりの音楽愛好家の浅慮である。

新聞で死を報じた編集委員は、91年に死の床にあったルドルフの指が、バッハのゴールドベルク変奏曲を弾いているとわかったと、後にピーターが回想して、父と息子との言葉なき和解が果たされたと記している。後年、Tシャツを脱ぎ、正装してリサイタルに臨んだすがたを目にしたかったとつくづく思う。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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