小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

シューベルトの強弱記号

2023年09月04日

早逝したシューベルトは、30歳、31歳の晩年にいくつもの傑作を書き上げた。ピアノ曲である3つの小品(D946)もそのうちの1つである。私は、その中の第2番を好み、数少ないレパートリーのうちにしている。この曲の後半に、弾き始めたころから気に留めていた個所がある。何となれば、同じフレーズが続く個所につけられた強弱記号が異なっているからなのである。それは、ちょうど179小節から4小節にわたって、ファレ、ドシシ、ドラドラ、シソシソのフレーズがあり、その直後の183小節からも、同じように繰り返されている。すなわち、この2つは同じフレーズにもかかわらず、179小節にはfp(フォルテピアノ)、183小節にはfz(フォルツァンド)の記号がつけられている。前者は、強く直ちに弱く弾き、後者は、特に強く弾く記号で、強く弾くことでは似た者同士である。そこを違えて弾くことの難しさがあるものの、私は弾き分ける理由を知りたかったのである。ここは、知るためにいくら情理を尽くしたとしても、私には踏み込むことが出来ない領域であることをわきまえつつ。

シューベルトは、18世紀の終わり、1797年に生まれた。その20数年前にはドイツで文学運動があり、それはシュトゥルムウントドランク(疾風怒濤)と称して、人間性の自由な発展や感情の解放を主張して、ロマン主義の先駆をなしたといわれる時代であった。それ以前の啓蒙思想に反発したこともあって、激しい感情表現をめざし、反理性的で、極端に主観的判断に重きを置く点が特徴とされている。その頃20代であったゲーテはその旗手となって、ドイツ文壇に確固たる地位を獲得した。そのゲーテの詩をもとにして、多くの歌曲を作ったのがシューベルトである。18世紀の終わりから19世紀を、私なりにひも解いてみたら、生下時より疾風怒濤期にいたシューベルトは、その「洗礼」を受けていたのだろうと想像できて、鑑賞するにあたりそのことを勘案する楽しさがあることを改めて知った。

さて、その疾風怒濤と強弱記号をつけることの関わりを想う。シューベルト以前と以後とを細かく比べたわけではないが、シューベルトに続いた多くの作曲家の作品には、強弱記号も速度記号もその数と内容が増えているようなのである。ここで、シューベルトの作品に記号が増えていることに疾風怒濤が関わっているというような速断は避けなければならない。しかし、生まれながらにして、その時代がシューベルトを育んでいるのであり、記号の多さと感情の発露とは無関係だというのも無理のあることである。彼は、当世風に感情表現をめざすのに、「装置」としての記号を多用したと思ったのである。fpとfzを対置し表現したのも、そのような時代にいたからこその創作の一環だと思った。それでも、ここで彼が記号を二つ用意して如何なる感情表現のちがいを見せようとしたのかは、うかがい知ることは出来ない。もし彼が存命で、ここのちがいを質してみたら、ああ間違った、同じ記号でいい、と答えるかも知れないなどと夢想もした。そのように思う傍ら、勘繰りのレベルながら解明すべく、この部分を繰り返し弾いてみた。その結果、終曲に向かうと告げることを、この二種の記号に各々課したということが浮かんだのである。実際、異なった二種の強さを経てからは、デクレッシェンドし、続いてpp(ピアニシモ)があり、静かなまま終曲につながっていく。そして、静かに始まる終曲は、ロンド形式のように曲の始めの主題と同じで、迷いの生死を重ねる輪廻のように結ぶが如くである。

以上、異なる強弱記号の存在をきっかけに、文学運動の一端にも触れた。音楽鑑賞や演奏に、時代背景を踏まえることの楽しさを垣間見る思いである。目下、ここを弾くたびに頭には疾風怒濤の文字が浮かび、指は活性化している。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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