音のこと
ルプーのピアノ その2
2023年10月29日
昨年鬼籍に入ったラドゥ・ルプーの音源を私は1枚しか持っていないと思っていたのに、棚にしまってある中に、さらに1枚あったことがわかり、喜んで鑑賞した。曲は映像で残された、モーツァルト・ピアノ協奏曲第19番K459である。
彼のピアノを聴くと、以前に記したように、音を生地に例えてベルベットのような肌触りのようだと感じたことは、このモーツァルトを聴いても変わらなかった。この曲もほかのモーツァルトの曲と同じように、長調と短調とが織り成して、その構成が深く大きくなる。ルプーは、織り成し方を自然に、としか言いようのない弾き方で進めていく。それがひいては、モーツァルトには「歌」があることを改めて感じさせてもくれる。ルプーは、歌を歌っているのである。転調するたび、あるいはフォルテシモの個所になるたび、もっと音が鳴り続けて欲しい気分になる。そういえば、かつて指揮者のブルーノ・ワルターが、モーツァルトの曲のリハーサルで、団員に対して「sing」と何度も口にして、歌うように演じることを強調していた。作られた曲を読み込み、モーツァルトの意図した響きを鍛錬された指で演じ、聴衆に披露するという当たり前の道すじが、この上ない時間を用意してくれる。
ルプーは、濃い真っ黒なひげをたくわえていて、暗い夜道などで会うと、怖くなるような顔かたちをしている。ところが、彼の弾きながら指揮者をみる、あるときは前上方をみる、その眼のやさしいこと。信じるものがあるとすれば、この眼なのだと思ってしまう。また、眼力などという定量的ではない言葉も浮かび、つい音楽を離れてしまうものの、この眼は、彼の奏でる音楽と一体なのだと夢想もした。それはともかくとして、好きなモーツァルトを、体を揺すらせて口ずさんで鑑賞したひと時だった。
追伸
ルプーの演奏を希少なお宝映像と思っていたら、ユーチューブで試聴できる。