小山医院 三重県熊野市 内科・小児科

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音のこと

ショパンの臨時記号 ー音楽は学ぶものか?ー

2024年06月05日

最近読んだ書物に、高名な音楽評論家のことを痛烈に批判する記事があった。曰く、野球など、スポーツ評論家は、かつて一流の現役選手として活躍し、その経験を基にして評論している。しかし、この評論家はもともと演奏家ではなく、いったい「自分のどんな能力を信じて評論しているのだろうか。」と冒頭に書かれている。この音楽評論家に、私は長らく私淑していたこともあって、この文章を読んだ後は、何とも落ち着かない気分になった。言わば、身内をけなされたと言ったら、その気分を説明できるかもしれない。

批判は彼の出自に至るまで多岐に及ぶ。評論家の多くは、LPやCDで音楽を聴いて、深く理解したような錯覚に陥り、評論を始めたようだと記している。さらに、作品について論じるときには、LPやCDを基にしていて、楽譜の存在は希薄、つまり、作曲家がかいた楽譜を重んじることなく、演奏家の演奏を通して作品に接しているというのである。この高名な音楽評論家の書く文章にも同様のことがあり、彼はアマチュアの域を出ていないと、全否定の様相である。何をかいわんや。著者は芸大を中退したものの、欧米の大学で学んだ作曲家である。そのような御仁が発した言葉であり、私には、音楽評論家はもっと専門的に音楽を学べと言っているように聞こえた。

前置きが長くなった。さてさて、私は先だってからショパン前奏曲第15番を練習している。この曲は、中間部にある1オクターブを多用した劇的な響きを有する短調部分を挟むようにして、前後に夜想曲風の表情豊かな部分があり、その対照が特徴的である。曲は、ファレラーシド、と始まり、レミファソーファファーミレ、と受ける。この組み合わせがもう一度繰り返される。ここは、数多くあるショパンのメロディのうちの一つで、繰り返されることによって、記憶に留められるメロディでもある。きれいなメロディだから、あるいは、表情豊かなメロディだからという理由があるとしても、そのメロディを何度も繰り返すわけにはいかない。そしてそのあと、肺腑をえぐるような音が出現する。

ショパンは、冒頭を繰り返したあと、曲を展開させるメロディを右手に託し、その際に伴奏のように弾く左手に、初めて臨時記号としてドに♭をつけた。これは、はっと息をのむほど美しく響き、右手のメロディを支える。こんな音があったのだ。それも、たった1音で、次にどう展開して、曲を形作っていくのだろうかと、期待を抱かせてくれるのである。この臨時記号のド♭は、5小節に渡って6個、そして、ソやファにも臨時記号をつけて、曲想が入り組む。

さて、この音に臨時記号をつけたことは、全体を構成するのに必要だったことなのだろうか。あるいは、ショパンが持つ閃きが、ここで臨時記号をつけさせたのだろうか。このことは、作曲法を学べば、わかることなのだろうか。閃くことは、よく学ぶとご褒美のように身につくものなのか。作曲とは。何も私に答えはない。これが、私のような音楽愛好家の性(さが)なのだろう。

ところで、冒頭の著書は、音楽愛好家についても触れている。すなわち、「名曲の名演奏を様々に聴き比べるのは楽しい。(中略)愛好家同士言いたいことを言い合い、それが高じて、レトリックを駆使した文章が発表できれば、さらに愉快である。」と書いている。何だか、作曲家からこのように言われて気楽になった気分なのだ。さて、気楽になったところで件のショパンの臨時記号である。誰もショパンに確かめることが出来ないのだから、勝手な想像を巡らせればいいという結論だ。評論などしなくてもいい。そして、学ぶのは、作曲家にお任せし、私は、音楽に引っ掛かったことに考察を加え、あれこれと楽しもう。楽しむための材料は、山ほど発掘したのだから。

身過ぎ世過ぎの三十有余年、ひねもす心音を聴取す。生来の音キチなるが故に此は悦びなり。されど、本意はピアノ音、エンジン音ばかりを傍らにと願ふものなり。

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