音のこと
「人知れぬ涙」
2025年03月04日
この表題は、半世紀前に私の友人が、とてもいい歌手が歌っていると知らせてくれた曲名である。すなわち、ドニゼッティ作曲の歌劇「愛の妙薬」のなかのアリアであり、歌手はティト・スキーパ。その際彼の歌を、すごい声?とろけそうな声?死んでしまってもいいくらい?いや、正確な言葉は残念ながら忘れたが、友人は最大級の誉め言葉をもって、勧めてくれたのである。
そのスキーパの音源を久しぶりに取り出して、「人知れぬ涙」を聴いた。始まるや否や、かつて聴いたときの思い出が一気によみがえった。何もかもがとろけてしまうような声、包み込まれるような声、弱く歌う歌い方、その弱音を長く保つ歌い方の魅力等など、いくら記しても記し足りないという思いだ。いや、歌の全貌を正確に記すことなど出来ない。ついでに、オー・ソレ・ミオ、サンタ・ルチア、ラ・クンパルシータなど有名な曲を含めて、多くの歌を聴き通したのがつい先日。聴き終えて、昔その声をそっとLP棚にしまっておこうと思ったことを思い出した。
「人知れぬ涙」は、1929年に録音された。それにしても、この音源をよく残してくれたものだ。スキーパは、1889年(明治22年)に生まれ、1920年代から1930年代にかけて活躍した。ちょうど大正から昭和の初期にあたる。スキーパの声、歌を表現するには、言葉に特殊な文言が要るに違いない。私には、それを見つけられないと今更ながら思う。肺でガス交換し、気管支、気管と通った空気が声帯を震わすことに、スキーパは他の人と何を違えているのだろうか、と記したところで、何の解釈にもならない。
そういえば、今年は昭和100年にあたる。スキーパが活躍してから約100年ののちに、彼の声を享受できるしあわせ。こんな私の文章などすっ飛ばして、彼の甘くてとろけそうな声を、とにかく聴いてください。