音のこと
日の目を見た音源
2018年05月03日
この歳にまでなると、時を経て記憶の彼方に置かれた、かつての貴重品が幾つかあるものだ。私の歌声が入ったオペラを録音したテープは、そのうちの一つである。ある日、昔の仲間からテープをCDにして欲しいと頼まれたため、久々に取り出してみたのだが、思いの外、回想にふけってしまった。そういえば私が音楽に興味を持つ端緒となったのも、このオペラであり、以下はその覚書である。
半世紀前、高校生の私は音楽部合唱班に在籍していた。ここでは、毎年の文化祭に合唱班であるにも拘らず、独唱を主とするオペラを上演することになっていた。責任学年の2年生になる前の冬に選んだ曲は、ヘンリー・パーセルが作ったDido and Aeneas(ディドとエネアス)であった。舞台は紀元前、トロイ戦争で敗れた王子エネアスが、新天地を求めてカルタゴに漂着、女王ディドと遭遇し、恋に落ちたものの、神の命令により仲を引き裂かれるという物語である。
オペラを選ぶにあたって、これを勧めたのは、合唱班OBで当時慶応義塾大学から二期会に行かれた先輩である。ところが、オペラに関する資料が乏しく、売られているLPは2種、ジョン・バルビローリとアルフレッド・デラー指揮によるものだけであった。それに、日本では上演されたことがなかった。上野の文化会館資料室に出向いても楽譜はなく、そんな曲を彼が何故勧めたのかは、今となってはわからない。私たち合唱班のメンバーは、イギリスのオックスフォード大学から楽譜を取り寄せることから部活動を始めた。
楽譜が到着後、翻訳し、すぐさまメロディに当てはまる言葉、つまり歌詞を作り、という作業を連日行なった。作業のかたわら、顧問の先生、先輩を交えて配役を決めた。舞台装置、衣装などはすべて自前で揃えた。また、歌の伴奏は、ほとんどをピアノでまかない、所々、やはりOBの人の協力を得て、バイオリン、ビオラ、チェロなどの弦楽器を織り交ぜた。LPにある演奏は、もちろん専門家によるものであるから、参考にはなっても、同じような表現は出来ない。私たちは、音符をおさらいして、仕上がった歌詞から順番に発声を繰り返し、いくつもある場面の情景を想像して、それを各々共有し、専門家ではない高校生の音楽を兎にも角にも仕上げた。寒い冬に始めた活動。夏休みを返上して9月の本番に臨んだ。
さて、その記録されたテープを再生し、CDに焼き直すことに、50年の歳月が立ちはだかった。録音テープには、巻き始めと終わりにリードテープがあるのだが、ここが録音部分と切れてしまっていた。細いテープであるし、これを継ぐのがひと苦労で、不器用になってしまった指先と老眼での作業は、難渋を極めた。やっと音が再生され、それぞれの配役の声、ピアノ、合間にある合唱、すべてが脳内奥深くにあるフォルダを開けた如くに蘇った。私は四十代のときに、声変わりし、思うように発声できなくなった。耳鼻科の友人には声帯疲労としか言ってもらえずに今に至っている。そんな私の50年前の声に懐かしさを覚えた。いや、それよりも、16歳、17歳の皆の一途な歌い方と時間をかけて作った歌の文句の耳への侵入に、図らずも涙腺が緩んだ。件の昔の仲間とは、オペラの配役となったうちの一人である。彼女が何故、今ごろになって聴きたくなったのかは知らない。若さゆえに走り続けたひと時の記録をよすがとして、この老年期を乗り切っていきたいのではないか、ということを想像したが、定かではない。
このオペラは、その後慶應義塾大学が演奏し本邦初演として記録されたらしい。私たちは、オーケストラで演奏したわけではないので、もちろん公式の記録に残っていないが、この部活動は、後々まで少なくとも私を照らしてくれた。というのは、今から約15年前、京都市立芸術大学の大学院生がこのオペラを取り上げた。当時、何人かの大学院生と交流があった私は、出来る限りの資料を提供して、彼らに力を尽くすことができた。また、レコード芸術には、2010年5月から2011年3月まで、喜多尾道冬さんによる、ディドとエネアス、と題した詳細な論考が載った。この内容はともかくとして、紀元前の世界に親密さを抱かせてくれた。
日の目を見た音源に接して、当時とその後に思いを馳せた。私にとってのエポックメーキングな自分史を振り返ることは、刻々と変わる今を語るに足ることでもあると思った。